カオハキ

日記

原付二種の呼び方問題

最近ブログを書いていて、少し悩みがあることに気が付きました。

 

悩み

たまに記事内で、僕がバイクで通勤をしているということを書いていますが、実はこの情報には若干不足がありまして、乗ってるバイクというのが「スーパーカブの110cc」なんです。

 

だからどうしたと思われるかもしれませんが、これが悩みの種です。

 

原付二種とは

スーパーカブの110ccは、原付二種に分類されます。

一応簡単に説明すると、原付二種というのはバイクの区分で、排気量50cc超、125cc以下のものを指します。

50cc以下のいわゆる原付では、速度30km/h制限や2段階右折などの走行上の縛りがあるのに対して、原付二種は高速道路を走れないくらいしか縛りがありません。

要するに、原付二種は「原付よりちょっと良いバイク」です。

 

呼び方

原付二種は非常に良いものなんですが、ブログに書いたり話したりする時の呼び方には毎回悩みます。

「”原付”二種なんだから、原付って書いたらよくない?」と思うかもしれませんが、「原付」と表現したら、たいていの人は50ccの原付を想像すると思います。

50ccの原付は上に書いた通り色々制限があるので乗っててストレスを感じることも多いし、道路上ではとにかく邪魔者扱いされます。僕はそれが嫌になってスーパーカブの50ccから110ccに買い換えた人間なので、二つの違いには特に敏感で、50ccと間違われるのは我慢ならないわけです。

このちっぽけなプライドを守るためには、「原付」という表現は避けなければいけません。同じ理由で「カブ」と書くのも避けています。

 

なので「原付と一緒にされてはかなわん」という思いのもと、スーパーカブ110ccを「バイク」と表現しているのですが、これはこれで、ちょっと見栄を張ってる感じが出ているので、適切ではないなと思っています。

「バイク」で一般的に思い浮かべられるのは恐らく中型以上のバイクなので、いくら110ccとはいえスーパーカブを「バイク」と書くのは躊躇してしまいます。なにしろ見た目は50ccのカブと何も変わらないので。

今後も何の説明も無く「バイク」と書き続けていたら、いつか写真を載せた時に「バイクって何かと思ってたらカブで草」とコメントされるのが目に見えています。「カブで草」は言葉の並びだけ見たら非常に相性の良さを感じますが、実際は馬鹿にされてるだけなので言われたくないです。

 

じゃあ正確に「スーパーカブ110cc」と書けばいいんじゃないかとも考えましたが、それはそれで、「50ccだと思われたくないアピール」が強すぎる気がします。「110ccですんで!!50ccとは違いますんで!!」と大声で叫びたい気持ちがバレバレではしたないです。本音としては50ccだと思われたくないけど、思われたくないと思っている心の醜さは自覚しているので、なるべく気持ちは隠しておきたいです。

 

そういうことをごちゃごちゃ考えた結果の妥協案が「バイク」なのです。

でも、上記の通り「バイク」にも全然しっくり来ていないので、書くたびに引っ掛かりを覚えてしまっているのが現状です。

 

解決策

実はすでに解決策があります。

この問題に気付いてから数日考えた結果、ひとつの答えに辿り着いたのです。

 

それがこちらです。

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白駆(びゃっく)です。名付けました。名付ければよかったのです。

はい。

 

悩みは解決しました。 

これからは「バイク」でも「原付」でも「スーパーカブ110cc」でもなく、「白駆」でいきます。「今日、白駆で通勤していたら」とか説明せずに書いていきます。

ついてきてください。

タピオカミルクティー殺し

今日は用事で出かけた帰りにタピオカミルクティーを飲みました。

 

タピオカミルクティーって最近異様に流行っていて、専門店では行列ができているのですが、僕はコンビニのやつしか飲んだことがなくて「そこそこうまい」くらいの印象でした。なので、みんなが行列を作ってまで欲しがるタピオカミルクティーはきっと別次元のうまさなんだろうな、と密かな憧れを抱いていました。

そんな中で、今日はたまたま専門店の近くに行く機会があったので、ちょうどいいなということで飲んでみることにしたのです。せっかくなので、タピオカ増量で頼んでみました。

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タピオカミルクティー

 

飲んでみた感想ですが、正直に言って味はミルクティーでした。甘さ控えめで美味しいけど、完全に知ってる味だったので衝撃は特になかったです。

でも、タピオカはコンビニのやつと全然違いました。

専門店のタピオカ(生タピオカというらしいです)はコンビニのと比べてかなりもちもちしており、噛み応えがありました。コンビニのはこんにゃくみたいな食感なので、本当に同じ食べ物なのか疑いたくなるくらい違いました。あまりに違いすぎたのでどっちが良いとも言い辛いのですが、違いを楽しめましたし、タピオカの食感は面白かったです。

 

タピオカミルクティーは一杯500円くらいしたので、一粒一粒ねちねちと噛みしめながら楽しんでいたのですが、ずっと食べていると一つの気付きを得ることができました。

それは、生タピオカの食感はうどんによく似ているということです。

タピオカはコシの強いうどんをボール状にしたものです。と言われたら信じるくらい、うどんっぽい食感でした。コンビニのタピオカと同じものだと言われるより、そっちのほうが説得力があります。

行列に並んで生タピオカを味わった人は、全員同じことを思ったのではないでしょうか。

 

タピオカとうどんは似ている。それはつまり、タピオカミルクティーはうどんミルクティーで代用できるということを意味します。

 

うどんはタピオカと比べて遥かに入手しやすいので、うどんミルクティーという発想が広まれば、家庭で気軽に生タピオカのミルクティーを再現できるようになります。そうなれば、今行列を作っているタピオカ専門店は壊滅的なダメージを受けることになるでしょう。

更にうどんならタピオカと違ってストローを使わないので、ホットで楽しむこともできます。冬になれば更に猛威を振るい、日本のタピオカミルクティーは全て駆逐されてしまうかもしれません。

確かな商機を感じました。うどんミルクティーはタピオカミルクティーにとって代わる存在、『タピオカミルクティー殺し』になる。そして僕が伝道師となって専用のミルクティーとかを売り出していけば、莫大な利益を得ることができる。今行列を作っているタピオカミルクティー狂い達は、1年後にはみんなうどんを啜るようになる。

そういう妄想を帰りの電車の中でしていたら、気持ちはどんどん高まっていきました。食べて確かめてみたい!と強く思いました。

 

というわけで、帰って早速作りました。タピオカミルクティー殺しです。

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全然美味しくなかったです。

平成最後の更新

平成最後の更新をします。

平成最後の更新は、なんと告知です。告知だけして終わります。平成って長すぎて逆に何も言うこと無いし、告知が一番重要なので、それでいきます。

 

5/6(月)の文学フリマ東京にサークル参加します。

場所は東京流通センター第一展示場で、僕がいるのはシー43です。

 

本を販売しますが、正直に言って面白いのかよく分かりません。「ハードルを下げるな」と言われそうですが、ハードルは下げさせてください。自分で読み返していると、よく分からなくなるものなのです。

面白いのかよく分からなくなってるくせに調子に乗っていっぱい作ってしまったので、来てくれた人は、全然面白くないかもしれないものに金を払ってください。お願いします。

以前のイベントで告知したときと同じことを書きますが、立ち読みして全然欲しくならなかった場合は「欲しいんだけど金がないんだよな~」という表情で立ち去ってもらえると助かります。

よろしくお願いします。

隠密ふたり

前回の日記で「去年入社した後輩の足音が小さすぎて困っている」ということを書きましたが、あれ以来、今まで以上に彼の足音の無さが気になって仕方がないです。日記に書いたことで意識が鮮明になってしまったのかもしれません。

となりで仕事をしてる時とか、こっちが集中しているのをいいことに、いつの間にか立ち上がってサッと背後をすり抜けてきたりするので、その度に「音~~~~~!」と思ってしまいます。別に後ろを通っただけで何も悪いことはしていないのですが、気になるんです。

 

いよいよ気になりすぎるので、何とか改善できないか考えています。

「直接言えよ」という話ではあるのですが、真面目に考えると静かすぎることを指摘するのって本当に正しいことなのか疑問ですし、そんな指摘をしている人は見たことがありません。

僕の感覚がいかれている可能性も否定できないので、下手に指摘したら「無茶苦茶な難癖をつけてくる頭のおかしい老害」というレッテルを貼られかねません。パワハラ認定もあり得ます。そこまでいかなくても、「何だこいつは」くらいは絶対に思われるので、できればストレートに言うのは避けたいところです。

分かりやすい対策として、靴底に金属板を貼り付けてガシャガシャ音が鳴るようにしようかとも思ったのですが、絶対すぐばれるし、嫌がらせだと誤解されそうなので止めておきました。同じような感じで、「床に何かを撒く」とか「足を怪我してもらう」とかも考えたのですが、普通に無理なのですぐに諦めました。

 

それで色々考えた結果、僕も無音で歩くことにしました。

「人の振り見て我が振り直せ」ということわざがあります。僕が無音で彼の周りをうろちょろするようになったら、彼も鬱陶しく思って、そこから自分の過ちに気付くのではないかと考えたのです。

もし何も思わなかったら、その時は僕の頭がおかしかったということで、素直に隠密歩きを受け入れていこうと思います。

 

そういうわけで、今は音を立てずに歩く練習を積んでいるところです。意識してやると結構音を消せることが分かってきたので、これから背後の取り合いに精を出していく所存です。結果的に隠密は二人に増えましたが、これから頑張ってゼロにしていきます。

新社会人は音を立てて歩こう

タイトル通りの話です。

 

僕の勤めている会社だけかもしれないんですけど、新入社員って礼儀正しくいようとし過ぎているせいか、足音が異常に小さい気がします。

だから適度に足音を立てて歩いてほしいなって、ずっと思ってます。

 

足音が小さいと隠密のようにスッと忍び寄られるので、いつの間にか背後を取られていてびっくりします。でも、びっくりしていることがバレたら先輩の威厳が損なわれるので平静を装う必要があって、「足音立てろ!」とも言えなくて困っています。

年をとるとだんだん環境に慣れて横柄な態度になっていくので、足音も大きくなって感知できるようになるんですけど、去年入った後輩は未だに無音で移動しているので、「まだなのか」とやきもきしています。軽やかな身のこなしが美しいと考えているのかもしれませんが、そんなことはないと早く気付いてほしいです。

確かにめちゃくちゃうるさいのは困りものですが、静かすぎるのもそれはそれで嫌なので、ちょうどいい音量で音をたててほしいです。

 

更に言うと、できれば足音で誰が近づいてきたか判別したいので、特徴的な歩き方をしてほしいです。わがままかもしれないですけど、新社会人のみなさん、頼みます。

奇声

最近、仕事帰りにバイクに乗りながら奇声を発するのにハマっています。

 

「奇声あげるぞ!」と意気込む感じではなくあくまでも自然体でやっていたので、奇声を発している自覚があまりなかったのですが、今日、帰り道でいつものようにやっていたら、ふと「何だこれは」と我に返って、奇声を上げているという事実を再認識しました。

 

奇声といっても、大声で「キエエエエエ!!」と叫んだりとかそういうのではなく、「ギリギリ人の声と認識されなさそうな音」を出しているのでセーフです。バイクから出てる異音だと思ってもらえるように頑張っています。

いい感じの異音っぽい音が出せたら、ちょっとずつ音量を大きくしながらバイクで駆け抜けます。周囲に聞かれて奇声だとバレていたらマズいのですが、「バレるかも」というスリルもまた楽しいのです。いいストレス解消になっていると思います。

 

日々の生活でストレスを感じている自覚はないのですが、こういう行動を取っているということは、逆説的にめちゃくちゃストレスが溜まっているということなのかもしれません。

ストレスを溜めるのはよくないので、これからもガンガン奇声を上げていこうと思います。

本物の説教

入院しています。(大丈夫なやつです)

 

入院翌日に手術をして、それからしばらくの間は体に色々な管が繋がっていて身動きが取れなかったり熱が出たりして辛い時間を過ごしていたのですが、今はその期間を過ぎて、一日の大半を退屈な時間が占めるようになっています。

 

体調は回復して、管も全部抜けたので自由に動き回れるのですが、院内をウロウロしても仕方がないので、ここ数日は本を読んで暇を潰しています。

院内の図書室に行けばタダで好きなだけ本を借りられるので、それを利用しています。

 

昨日は、となり町戦争という小説を読んでいました。ある日となり町との戦争が始まって、主人公が現実感の無いまま戦争に巻き込まれていく、という話です。

どこかで聞いたことのあるタイトルだし設定が面白そうだと思って借りてみて、途中までは楽しく読み進めていたのですが、物語が終盤に向かうにつれて、いかにも戦争ものといった感じの、戦争について考えさせようとする説教の気配が濃くなってきて、僕はだんだん「やだな」と思うようになっていきました。でもせっかく終盤まで読み進めたものを途中で投げ出すのも嫌なので、最後まで読み通すことにしました。

 

そんな時に、会社の偉い人が見舞いにやってきました。僕は本を閉じて、滅多に来ない見舞い客に焦りつつ対応しました。

偉い人は僕に菓子折りを渡して、入院中の給与に関する処理などを一通り説明すると、少し沈黙してから、「これからはあなた達の世代が会社を引っ張っていくようになるから、あなたは成長しなければならない」といった内容の話を始めました。

僕はそれを聞いて、「本物の説教がきた」と思いました。

 

小説の説教と本物の説教、二つの異なる説教を立て続けにもらうことになるとは予想しておらず、僕は面食らいました。

しかも、本物の説教は本物なだけあって、ダメージも大きいのです。小説の説教がたくさんの読者に向けられているのに対して、本物の説教はまっすぐ僕だけに向けられたものなので、尖り具合が違いました。

ただ、その先端が僕の心に刺さって感銘を受けたかというとそうでもなく、嫌な気分になるばかりで、僕は「はい」と同じ返事を繰り返すことしかできませんでした。「自分の意見ははっきり言うべきだ」という言葉にも、僕はうつむいて空返事をしながら、人に説教を届けるのは難しいものだな、と思いました。

わざわざ見舞いに来て菓子折りまでくれた人に、「説教やめて~!!」とはっきり本音を言うのは憚られますし、偉い人も、悪気があって説教をしているわけではなく、もしかしたら話すことが何も無くて無理やり話し出したら説教になってしまっただけかもしれないので、僕がいい感じに雑談とかを振るべきだったのかもしれないと少し反省しました。届かない説教は悲しいので、無くしていく努力が必要なのです。

 

その後、偉い人は立ち去り、僕は落ち着いてから読書を再開し、小説の残りを読み終えました。説教の気配は最後まで続きましたが、本物をくらった後なので、いくらか楽に読めた気がします。