本物の説教
入院しています。(大丈夫なやつです)
入院翌日に手術をして、それからしばらくの間は体に色々な管が繋がっていて身動きが取れなかったり熱が出たりして辛い時間を過ごしていたのですが、今はその期間を過ぎて、一日の大半を退屈な時間が占めるようになっています。
体調は回復して、管も全部抜けたので自由に動き回れるのですが、院内をウロウロしても仕方がないので、ここ数日は本を読んで暇を潰しています。
院内の図書室に行けばタダで好きなだけ本を借りられるので、それを利用しています。
昨日は、となり町戦争という小説を読んでいました。ある日となり町との戦争が始まって、主人公が現実感の無いまま戦争に巻き込まれていく、という話です。
どこかで聞いたことのあるタイトルだし設定が面白そうだと思って借りてみて、途中までは楽しく読み進めていたのですが、物語が終盤に向かうにつれて、いかにも戦争ものといった感じの、戦争について考えさせようとする説教の気配が濃くなってきて、僕はだんだん「やだな」と思うようになっていきました。でもせっかく終盤まで読み進めたものを途中で投げ出すのも嫌なので、最後まで読み通すことにしました。
そんな時に、会社の偉い人が見舞いにやってきました。僕は本を閉じて、滅多に来ない見舞い客に焦りつつ対応しました。
偉い人は僕に菓子折りを渡して、入院中の給与に関する処理などを一通り説明すると、少し沈黙してから、「これからはあなた達の世代が会社を引っ張っていくようになるから、あなたは成長しなければならない」といった内容の話を始めました。
僕はそれを聞いて、「本物の説教がきた」と思いました。
小説の説教と本物の説教、二つの異なる説教を立て続けにもらうことになるとは予想しておらず、僕は面食らいました。
しかも、本物の説教は本物なだけあって、ダメージも大きいのです。小説の説教がたくさんの読者に向けられているのに対して、本物の説教はまっすぐ僕だけに向けられたものなので、尖り具合が違いました。
ただ、その先端が僕の心に刺さって感銘を受けたかというとそうでもなく、嫌な気分になるばかりで、僕は「はい」と同じ返事を繰り返すことしかできませんでした。「自分の意見ははっきり言うべきだ」という言葉にも、僕はうつむいて空返事をしながら、人に説教を届けるのは難しいものだな、と思いました。
わざわざ見舞いに来て菓子折りまでくれた人に、「説教やめて~!!」とはっきり本音を言うのは憚られますし、偉い人も、悪気があって説教をしているわけではなく、もしかしたら話すことが何も無くて無理やり話し出したら説教になってしまっただけかもしれないので、僕がいい感じに雑談とかを振るべきだったのかもしれないと少し反省しました。届かない説教は悲しいので、無くしていく努力が必要なのです。
その後、偉い人は立ち去り、僕は落ち着いてから読書を再開し、小説の残りを読み終えました。説教の気配は最後まで続きましたが、本物をくらった後なので、いくらか楽に読めた気がします。
ホットマットを買う
明日、ホットマットを買います。絶対買います。布団に敷ける長細いやつを買います。
なぜ買うかというと、今使ってるホットマットが壊れたからです。
去年から怪しい挙動を繰り返していて、電源を入れても全然温まらない症状が頻発していました。10年近く使っているので、完全に寿命なんだと思います。
なのになぜ買い替えずに今日まで過ごしていたかというと、3回に1回くらいはちゃんと温めてくれていたからです。その30%の成功で、「いけるじゃん」という気持ちを辛うじて保ってきたのです。でも、最近ハズレの確率が増えてきて、10回に1回くらいしか温めてくれなくなったので、限界を感じてきたわけです。
「温まってないな」と思ったら電源を入れ直してリセマラをするわけですが、ホットマットってすぐに効果を実感できないので、「そろそろ効いてきてもいいはずだ」と思ったころには自分の体温でそこそこ布団が温まってしまいます。そういう理由もあって、何度もハズレが続くと「もういいか」という気持ちになって寝てしまいます。
少しでも早く温度の変化を感じとってリセマラできるように、寝るときはいつも目盛りを最大にしてダニを殺すモードにしているのですが、その状態でアタリがくると、めちゃくちゃ熱くなって僕まで死にそうになります。でも、ホットマットがしっかり仕事をしてくれるのは10%のレア体験なので、勿体なくて温度を下げられず、結果、アタリでもハズレでも寝苦しい夜を過ごしてしまっています。最近は、「ちょいアタリ」くらいの温度になる日もたまにあるので、それが来た日が真のアタリになっています。
そういうわけでもう何も良いことがないので、買い替えるしかないな、と思った次第です。これからもっと寒くなるので、新品のホットマットで寝るのが楽しみです。
スマートフォンアプリ
最近インストールしたスマートフォンアプリのことをサッと書いておきます。
日記アプリ
無地日記という日記アプリを入れました。
一応ここも日記を書く場所なのですが、人に見られたくないこととか、何でも無さすぎることはブログでは書けないので、誰にも見せない日記があってもいいな、と思って入れてみた次第です。
始めてみると意外と書くことが多くて、半月ほどで疲れてやめてしまいました。休日どこかに出かけたりしたら、あったことを全部書きたくなってしまうので非常に大変でした。今読み返しているのですが、売れ残りのパンが硬かったこととか、どこにも書かなくていいですね。
メトロノームアプリ
「メトロノームの音を聞いているとすぐに眠れる」というのをネットのどこかで見かけたので、鵜呑みにしてインストールしました。
しばらく使ってから、別に何もなくてもすぐに眠れるということに気付いたので、今は使っていません。眠れない夜が来たら、また使おうと思います。
TikTok
「10代の文化に触れたい」というどうしようもない理由でインストールしました。数日で見なくなってしまいましたが、「また見たくなるかも」という気配はあるので削除せずに残しています。動画が短いので気軽に見られるのがいいな、と思いました。
以上です。
もっといっぱいあるかと思って書き始めたのですが、そうでもなかったです。すみません。
ばねの行方
今日、仕事中にボールペンが壊れました。
自分のデスクと隣の人のデスクの間のスペースにペンを突っ込んで遊んでいたら、思いのほかしっかり刺さってしまって、力を込めて引っ張ったら壊れました。
まさか壊れるとは思っていなかったのでビックリしましたが、ボールペンはどこかで頂いた粗品だし、まあ仕方ないかという程度で受け入れました。結構長く使っていて、インクも無くなりかけていたので、寿命ということでしょう。
しかし、壊れたボールペンをあっさり捨ててしまうのは忍びないので、中からばねだけ取り出して、今度はそれで遊ぶことにしました。手の中で弄んでみると、いい感じに反発してなかなか楽しいです。
これは今日発見したことなのですが、指でばねをぎゅっと押し込んで、縮まった状態をキープしていると、ばねの反発を力で抑え込む征服感に酔いしれることができます。仕事でイライラしていても、「でもばねは俺に抗えないし」と考えると少しだけ気分が良くなります。自分より下位の存在を作ることで精神を安定させる手法ですね。
ばねにはいくら辛く当たっても大丈夫なので、ずっと抑え込んだ状態で仕事をすることにしました。
指2本をばねに使った状態で、書類に手をのばします。
すると、指にかかる力がずれて、ギュッってなったばねが、ビュッとどこか遠くに飛んでいきました。
ばねを抑圧し続けるのは意外と難しく、他のことに意識が向くと、あっさり逃げ出してしまうのです。つまり、仕事しながらばねを抑え込むのはよくなかったということですね。
僕は数秒ばねの行き先を見つめた後、何もなかったことにして仕事に戻りました。力による抑圧に耐えきれず逃げていったばねのことは責められませんし、探し出すのはクソだるいです。
そういうことが、今日はありました。
絵を描くのは大変です。
汚いおっさんの時間
先日、朝礼中に屁が出ました。
割と静寂に包まれてるタイミングではっきりと音が鳴ったので、「やべっ」と思って焦ったのですが、でも、大してヤバくないことに気付いてすぐに落ち着きました。屁が出ても誰も困らないし、別に気にもしないし、実際何も言われなかったので、好きに出せばよかったのです。
好きに出すのは駄目ですが、最近はそういう感じで、色々なことがヤバくなくなってきている気がします。
この前は近所の激安スーパーまで買い物に行ったのですが、さっきまで寝てた部屋着のまま、普通に行きました。昔はそうでもなかったはずですが、いつの間にかそうなっていました。特に、僕が行く時間帯の激安スーパーには汚いおっさんしかいないので、どんな格好で行ってもOKということにしています。
そういう発想の人間が集結した結果として、汚いおっさんしかいないスーパーが生まれているのかもしれません。そう考えると、僕も構成員の一人として若干罪の意識を感じますが、とにかく楽なのでこれからも続けていくつもりです。
僕はもともと人目を気にしすぎる方だったので、今くらいの感じがちょうどいいんじゃないかと思っています。最低限のラインは超えないように、見極めていきます。
アボカドを食べた
アボカドを買いました。
アボカドを買ったのには、わけがあります。
僕は、アボカドが何なのか、よくわからないまま今日まで生きてきました。
食べる機会は何度もありました。ハンバーガーに挟まっていたり、サラダに入っていたり、様々な場面で、僕はアボカド入りの料理を頼んできました。
つい先日、パンケーキを初めて食べたという日記を書きましたが、実はそのあと、クレープも食べていました。頼んだクレープは、ハムとマヨネーズとアボカドが入ったやつでした。僕は自らの意志で、数あるクレープの中からアボカド入りのやつを注文したのです。理由は「なんかうまそうだから」です。アボカドには、「なんかうまそうだ」と思わせる力があります。僕はその力に引き寄せられるように、アボカド入りクレープを頼みました。
でも、食べてみた感想は、「よくわからんな」というものでした。ハムとマヨネーズが美味しいとは思いましたが、アボカドに関しては、「よくわからんな」としか感じられませんでした。何しろ味が無いし、匂いもないし、食感もあるのかないのかよく分からない感じだからです。
ずっとそうでした。アボカド料理を見かけるたびに注文しては、「よくわからんな」と首をかしげて去っていく。僕はそんなわけのわからない客でした。僕とアボカドの距離は、初めて会った時からひとつも縮まっていません。何度も理解しようとして、でもできなくて、「なんかうまそうだ」というオーラだけは何故かずっと漂っている。それが僕にとってのアボカドでした。みんなおいしいって言ってるけど、本当にわかってる? うまそうなオーラに騙されてない? そんな疑問を抱き続けてきました。
アボカドが「森のバター」と呼ばれて栄養価の高さを注目されているというのも気になっていました。みんなが栄養に踊らされてるんじゃないかと、そう疑っていました。もしアボカドがきゅうり並みの栄養価だったとして、今の地位を築けたのかと、問いかけたい思いでした。きゅうりはその点すごいです。栄養がないと蔑まれながらも(実際はそうでもないらしいですが)、あらゆる料理で登場して、みんなに愛され続けています。アイドルマスターの10thライブでは、きゅうりの一本漬けがキャスト陣に非常に好評だったと聞きます。猛暑の西武ドームでは、美味しく水分・塩分補給できる手段としてきゅうりが重宝したそうです。栄養という武器を奪われたアボカドに、果たして同じ芸当ができるでしょうか。アボカドの一本漬け、できるもんならやってみろ! 僕はキレていました。
でも、キレたところでアボカドは揺るぎません。僕が空しくなるだけです。
なので、そんな生活に終わりを告げるため、僕はアボカドを買いました。
何かの付け合わせじゃない、本来の、むき出しのアボカドに触れれば、ずっとわからなかった何かがわかるかもしれない。そう考えたのです。アボカド専門店に行くことも考えましたが、調べたら結構遠かったので、自分で料理することにしました。
アボカドの食べ方として、刺身が有名だと聞きました。スライスしたアボカドにわさびと醤油をつけて食べるというシンプルなものです。これはごまかしの利かない調理方法なので、アボカドも逃げられません。ずっと名脇役を気取っていたアボカドを、主役の舞台に引きずり出してみせる、そういう意気込みで調理を始めました。
事前に動画をみて勉強したので、アボカドの切り方はばっちりです。すぐに調理は終わり、実食に移りました。
結論を言うと、めっちゃ美味しかったです。
一口目を食べた瞬間から、「なるほどね!」と思いました。全部わかりました。こんなにすぐにわかると思っていなかったので、完全にやられました。醤油の味とわさびの刺激をアボカドがクリーミーに仕上げていて、抜群の相性の良さを感じました。「アボカドに醤油とわさびをつけるとトロの味がする」と聞いたことがあって、「馬鹿か」と思っていましたが、確かにそんな味がしました。馬鹿は僕の方でした。
これがアボカド。僕は「よくわからんな」と思っていましたが、実は気付いていなかっただけで、アボカドはずっと美味しかったのかもしれません。
今回の経験でアボカドの良さを理解できたので、これからは真正面からアボカド料理を楽しめるはずです。買ってよかったです。
はじめてのパンケーキ
先日、生まれて初めてパンケーキを食べました。
パンケーキは軟弱な食べ物なので、硬派な僕は今まで口にしていなかったのですが、最近、自分の中の硬派な一面が姿を消していることに気付いたので、「じゃあ食えるじゃん」ということで食べるタイミングをうかがっていたのです。
タイミングというのは急に来るもので、不意に「今日はパンケーキ!」と自分の中の何かが叫びをあげて、近くにあった喫茶店に吸い込まれていきました。それが先日のお昼のことです。
店に入ったら、とりあえず最初だからと、一番スタンダードなやつを頼みました。パンケーキにバニラアイスとクリームが載っていて、さらにメープルシロップをかけて食べるやつです。
コーヒーも一緒に頼んで、うきうき気分で到着を待ちます。何しろ、こっちはパンケーキブームがきてからの数年間、「うまそうだな」と思いながらもずっと店に行かずに我慢してきたのです。何のための我慢なのかと聞かれたら、何のための我慢でもないと答えるしかないのですが、それでも我慢してきたという事実はあるのです。隣の席では、初対面と思わしき男女がぎこちない会話を繰り広げており、ドキドキ感にも拍車がかかります。
間もなく運ばれてきたパンケーキ。熱々の鉄板みたいなのに乗せられてやってきました。本格派っぽい雰囲気を感じます。早速メープルシロップをかけて、ナイフとフォークでいただきました。
一口目を食べて、僕はすぐに思いました。「これはホットケーキだ」と。
確かに見た目はホットケーキに激似だと常々思っていましたが、まさか味まで全くおんなじだとは思っておらず、ビックリしてしまいました。
僕は、ホットケーキなら何度も食べたことがあります。それだけにガッカリしました。「あんなにチヤホヤされていたパンケーキの正体がこれかよ」という思いでした。確かに美味しいけど、世間のもてはやし具合を考えたらもっと美味しいはずだったので、ギャップを感じてしまいました。
しかも、パンケーキはめっちゃくちゃ甘かったです。ホットケーキにバニラアイスとクリームが載っていてさらにメープルシロップをかけるのだから甘いのは当然ですが、僕は想像力がないので、そこにもビックリしました。一緒に頼んだコーヒーがブラックだったので、そこに救われた形になりました。あと、隣の男女がなんか四十九日の話をし始めたので、それもパンケーキの甘みを和らげてくれた気がします。
ビックリしたので悪く書いてしまいましたが、僕が家で焼いたホットケーキと同じ味がして美味しかったので、元気に完食しました。でも、世間でもてはやされているパンケーキはもっと美味しいはずなので、その幻想を捨てずに今度は名店に行ってみたいと思います。